2013年10月。恐山の閉山直前の金曜日。急に思い立ち、駅の旅行案内所へ駆け込む。窓口で土日の電車のチケットとホテルの予約が手配できるかと尋ねると、驚いたような顔をされたが、空きはあるようだったので、その場で手配してもらい、家に帰ってカメラと着替えをカバンに詰めた。
前回恐山へ行ったのは2009年、そしてその後に起こった、2011年の東日本大震災…。
10月26日(土)
08時28分 東京発新青森行き 東北新幹線はやて25号
11時29分 八戸着
12時13分 八戸発大湊行き 大湊線(快速しもきた)
台風27号が連れてきた、雨、風とともに、北へ。
13時54分 下北着
下北駅でレンタカーを借り、さて、最果ての尻屋崎へ向かうか、それとも最北端の大間へ向かうか。どちらへ行くにしても、1時間前後はかかってしまう。
尻屋崎へは2回行っているので、今回は下北から北上し、北西へハンドルを切り大間崎を目指した。大間は本州最北端の地であり、またマグロで有名な場所だ。
大間崎へ着いた時には時刻は15時半を過ぎ、黒い雲が空を覆い、強風に乗った小雨が体に叩きつけるようになってきた。そして寒い。コートなしではいられない。
マグロのモニュメントは、ここ大間で釣り上げられた440kgのマグロだそうだ。海の向こうには北海道が見える。カモメは風にあらがって飛んでいた。
港へ漁船を見に行った。これらの船はマグロ漁船なのだろうか。気仙沼の文字の入った旗が、暗い空を背景に、力強くはためいていた。
17時には暗くなり、今日のホテルは夕食がないため、少し早いがここで夕食を取る事にした。マグロの刺身定食と、焼魚(カレイ)定食を半分ずつ分けて食べる。マグロは一切れが大きく、やはり美味い。そしてカレイも美味い。
大間崎を後に、暗くなった海沿いの道を戻る。海の上には船(おそらくイカ釣り漁船)があり、その船が放つ明るい光が海の表面を照らし、そして車内にまで届いてきた。
10月27日(日)
今回泊まったのはフォルクローロ大湊というホテル。大湊駅のすぐそばに建っている。部屋からは陸奥湾が見え、真下には駅のホームが見えた。
旅先でテレビをつけニュースにチャンネルを合わせると、普段見られないその土地の話題や天気予報を流している。訪れた土地のテレビ番組を見るのも旅の楽しみのひとつだ。
朝食のため廊下に出て山の方を見てみると、木々が紅葉して綺麗だった。青空も見えていた。
大湊線の最終駅、大湊駅はとても綺麗な駅舎になっていた。 (緯度的に) 本州最北の駅はひとつ手前の下北駅で、大湊駅はてっぺんの終着駅と呼んでいるそうだ。
今年は本州最西端の駅(梅ヶ峠駅:山口県下関市)も通ったので、最北端と最西端に行ったことになるが、こんなにも簡単に行けてしまうのは、鉄道網が発達しているからということももちろんあるだろうが、やはり狭い島国だからなのだろう。
駅前の看板には恐山とイタコさんと郷土料理(みそ貝焼き)、そしてサルとカモシカの絵。赤い橋は三途の川に渡されている太鼓橋だろうか。
線路の終わり。
正面に見えているのは釜臥山。恐山の奥の院がある。恐山は少し右の奥の方になるのだろう。
ホテルをチェクアウトし、昼食用のパンを買い恐山へと向かう。
09時30分 冷水
恐山への一本道を上って行くと、思ったよりも早く冷や水に着いた。ちょうど路線バスが停まっており、人々が乗り込んでいた。路線バスも冷水へ立ち寄ってくれるのだろうか。
夏でも冷たい冷や水は、紅葉の始まったこの時期にはなおのこと冷たく感じられる。
09時40分 宇曽利山湖
山道を下り始める急坂にさしかかる頃から、急に車の中は硫黄のにおいに包まれ、ほどなくして宇曾利山湖が見えてくる。
澄んだ湖の岸辺には波が打ち寄せ、取り囲む山々は錦に彩られ、とても美しい。今日は風が強く硫黄の臭いも薄く感じられる。
三途の川のほとりに建てられていた奪衣婆(左)と懸衣翁(右)。奪衣婆に身ぐるみを剥がされ、懸衣翁がその衣を柳の木に懸け、生前の悪業の重さを量るそうだ。人間の世界で犯した罪は償えても、悪業というものは罪とは別のものなので、この地獄の入口へ来なければ、閻魔様にどう判断されるか分からない、そんな怖さを感じる。
三途の川の太鼓橋。
太鼓橋の上から見た宇曾利山と湖。今日は水の量が多いようで、流れがとても速かった。宇曽利山湖の水はいつ見ても綺麗だ。けれども強い酸性の水なので、生きものはあまりいない。
宇曾利山の反対側にある山はかげってしまったが、紅葉が綺麗だった。
そして恐山菩提寺へ。
10時00分 恐山菩提寺
本堂と地蔵堂にお参りし、これから地獄へ向かおうと思っていると、雨粒が落ちてきた。
風も強く、横から雨が叩きつける。雲の流れは速く、青空が見えたかと思うのもつかの間、頭上は黒い雲に覆われている。
東日本大震災の犠牲者を弔うために建てられた、これから開く蓮の花の形をした(私にはそう見えた)モニュメント。裏側には手形が押されている。台座には「念じよう」の言葉。表側には石像が安置されている。恐山は東北の被災地ともつながりが深いということを聞いた。
震災後、恐山にはどうしても来たいと思っていたが、こんなにも時間が経って、やっとお参りをすることができた。鐘の高く澄んだ音は、湖を越えて、山の向こうに届くような気がした。
突然の驟雨。
雨上がりの極楽浜には、まさしく汚れのない極楽浄土が広がっていた。こんな景色に出会えるとは夢にも思わず、そしてまた夢のようだった。
境内の温泉に足だけ浸かり、冷えた体を温める。
12時30分
恐山を離れ、釜臥山の展望台へやってきた。紅葉した山々の向こうに宇曾利山湖が見える。反対側には陸奥湾とむつ市を挟んで外海が見える。尻屋崎の方の海の上に虹も見えた。
13時00分
釜臥山を後に、電車の時間に合わせて下北駅へ向かう。
レンタカーを返し、駅へ向かうと、強風のため大湊線は運休となっていた。代わりのバスに乗り野辺地駅へ到着。車酔いは激しかったが何とか持ちこたえ、発車時刻を過ぎて待ってくれていた青い森鉄道に乗り込む。
スケジュールは大幅にずれたが、八戸駅へ着いた頃にはちょうどよい待ち時間となり、予定通りの新幹線に乗ることができた。
帰ってきた東京は暖かく、そして空気が汚れているように感じられた。
そんな青くない空を、とても青くて綺麗だと表現する、テレビや道行く人たちのこの悲しさ。もっと青い空はそう遠くないところにあるのに。