生と死を感じる場所

死ぬことと生きることと

パシュパティナートとボダナート

 カトマンズにある世界遺産、ヒンズー教のパシュパティナート、そして仏教のボダナートを訪れた。そこは死と生が混然一体となり、死も、生も、より身近なものに感じられた。

パシュパティナート(ヒンズー教)

 空港からホテルへ向かうメイン通りにあるパシュパティナート。

 入口で入場料を払い、門をくぐり敷地の中へと足を踏み入れる。露店を横目に歩いていくと、すぐに茶色く濁った川のそばを歩くようになった。

 全身白塗りをしたサドゥを何人か見かける。笑いながら観光客と写真を撮っているサドゥもいた(サドゥはインドやネパールにいる修行者)。

 茶色い川を隔てて向こう岸に人が集まっている。そのいくつかの人々の前では、黒く積み上げられたかたまりから炎が上がり、煙が立ち上っている。

 この煙は、亡くなった人たちを荼毘に付しているしるし。そう、ここは火葬場だ。

 ここパシュパティナートは世界遺産でもあるが、今も人々の間で生きているであろうヒンズー教の寺院でもある。こんな川のほとりで、亡くなった人を野焼きするなんてことは、今の日本で出会うことはないが、こうして目の前にしてみても、まったく特別なことではなく、日常に溶け込んだごく当たり前の風景に思えた。

 その炎を見ていると、わたしのすぐ下、川へ一段下がったところで、手相の図のようなものを前に話をしている人たちがいた。案内してくれた人によると、イタコのようなものだとのことだが、これは本当なのか、言葉がうまく伝わっていないのかもしれないが、亡くなった人を思うのはどこの世界でも同じだと肌で感じた。

 川から離れ、高台に登っていくと、川に沿って煙がいくつも立ち昇るのが見え、また、パシュパティナートの全体が見渡せた。岸向こうのお堂の中にたくさんの人が集まっているのも見えた。高台には多くの人がいたが、その人々の間に紛れ、何も考えられず、しばらく手を合わせながら煙を眺めていた。そうしているうちにも、新たに火葬の準備を進める人の姿があった。

 敷地内を観光すると、これも日本では見ることのない、ヒンズー教を色濃く表したガネーシャの石像などが安置されていた。サルが飛び交っている。

 地震の影響がまだ残り、建物の修復作業が続けられている場所もあった。

 このパシュパティナートの敷地内には、初期の頃の建物が多くある一角や比較的新しい建物がある場所などいろいろあった。

 そして、人が多く集まる広場のような場所があり、公園に遊びに来るように、憩いの場になっているようだった。親子連れ、友達同士、観光客、果物を売りに来ている人など、いろいろな人が集まっていた。

 敷地の奥へと進むと、向こう側に建物のひしめき合う街並み、そして次に訪れるボダナートが見えた。

 道を下っていくとヒンズー教徒しか入れない場所もあり、同じアジアではあるが、やはりここは日本ではないのだと強く感じる。

ボダナート(仏教)

 パシュパティナートからタクシーに乗り、狭い道を走りボダナートへ向かった。

 ビルとビルの間から大きなストゥーパが現れる。入口で入場料を払い、ストゥーパに近づいていく。ここも多くの人であふれている。

 金色に輝く尖塔とブッダの目、そして風にはためくルンタがとても印象的だ。ルンタは地水火風空をあらわす5色からなる。

 ストゥーパの下にある無数のマニ車を回しながら、時計回りに進んでいく。途中、子供を連れた明らかに盲目の女性の姿が忘れられない。

 一段上がり、ストゥーパの縁を時計回りに歩いていく。過去、現在、未来。3周するのが本来のお参りの作法だとのことで、そのとおりに3周回ってきた。塔のまわりでは、五体投地をしている人たちもいた。

 ボダナートは多くの人がひしめき合い、喧騒に包まれていた。パシュパティナートとは違い活気にあふれている。また、壁に描かれた仏画の人物が、パドマサンバヴァだと当然のように説明され、チベット仏教の世界に入ったことを強く感じた。

 ここは人々の間で生き続けている仏教の寺院であり、やはり仏教も生きる人のためにあるのだということを、日本を離れてやっと感じることができた。しかし、インドやネパールにはチベットから逃れてきた人たちも大勢いるので、そういう人たちもこの中にいるのかと思うと、とても複雑な気持ちになる。

 気がつけば空はだんだんと夕暮れ色になり、ボダナートはまだまだ喧騒の中にありながら、どこか懐かしく、とても穏やかな雰囲気に感じられた。

死ぬことと生きること

 メメント・モリ(死を忘れるな)ということばは、すでに使い古されたものかもしれないが、死を特別なものとして忌み嫌うのではなく、死を思い、他の生きものを思うことで、人としての短い生を生きることができるのではないかと、そんなことを思った。